3月11日
今年もまたこの日がやってきました。
今日は、勤務先で2時半から会議でしたが、会議が始まって程なく、その時間になると放送が流れ、1分間の黙祷をしました。構内にいた全教職員が哀悼の意を捧げたことでしょう。
学生は? といえば、学生はいません。明日は後期日程入試なので、学生は午後1時から入構禁止です。
毎年、曜日にかかわらず、3月12日は後期日程入試です。4年前もそうでした。電車が全て止まってしまって、翌日の試験監督にはバスとタクシーを乗り継いで行きました。交通機関の痲痺で試験に来られなかった受験生も多かったと思います。後日、その救済策を立てましたけれど。
また、東北地方から早めに出発して、地震発生前に群馬に着いていた受験生もいました。その受験生達は無事に試験を受けられたわけですが、家族のこと、故郷のことを思えば、気もそぞろだったことでしょうし、試験が終わった後、どのようにして、いつ故郷に帰れたのか、心配でした。
あの震災に関してはいろいろと思うこと考えることがありますが、職業柄、また入試の前日ということもあり、直接的には入試絡みで思い出されることが多いです。
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あの日、私の職場で、翌月曜日の入試を控えての準備をしていました。一通りの準備も終えて最終の会場点検を終えて職員室に戻ると・・・東北で大変な地震があったらしい・・・震度は7らしい・・・との同僚の言。幾たびもの大地震を越えてきた我が郷土でしたから、「揺れ」に対する備えはかなり進んでいるので、ある意味「たかを括って」いました。
そこに事務室にあるテレビを見ていた同僚が・・・津波でえらいことになっている・・・と駆け込んできて私も事務室に急ぎました。
見ると・・・自動車が木の葉のように流されている映像・・・確か釜石の映像であったかと思います。
その後続々と入ってくる各地の津波の映像、私の郷里東松島は如何に・・・と思うもののなかなか情報は入ってきませんでした。何度も兄や親戚に連絡は撮るものの一切つながらず・・・・
ツイッターによって、私の住んでいた東松島市野蒜がほぼ壊滅したらしい情報を入手したのはその日の夜遅く(この時頼りになる情報源はツイッターのみでした)。ちょうどその頃、私の通っていた小学校のあたりに大量の遺体が打ち上げられたとの情報がテレビより流れ始めました・・・
あとは以前にブログの方で書いたと思いますのでここまでにしようと思いますが、そんな不安な数日があったことを・・・私も入試が近づくと思い出します。そして、今日がその入試準備の日・・・がんばらなくっちゃ・・・
投稿: 三友亭主人 | 2015年3月12日 (木) 09時02分
三友亭主人さん
三友亭主人さんもやはり入試の準備中でしたか。季節ですからねぇ。
あの日は、時間が経つにつれて被害の甚大さが明らかになって行きましたので、遠く大和の地にいらして、どんなお気持ちでいらしたか、お察しするにあまりあります。
当日はまだ原発のことは報道されていませんでしたよね。翌日の後期日程入試の日に、控室で、ある教員がツイッターを見ていて、原発が危なそうだと言ったのがいわば第一報でした。そのときはまだその情報の信憑性が全く分からず、なんとも反応しがたかったことを憶えています。
投稿: 玉村の源さん | 2015年3月12日 (木) 21時35分