飛鳥寺西の槻の樹広場に建物
今日のアサヒコムに「飛鳥寺西方遺跡に初の建物跡 宴の施設?軍営?」という記事が載っていました。
ここは、中大兄皇子と中臣鎌足とが出会ったという槻の樹の広場ですね。
以前、まほろばで、2人が出会った時にしていたのは蹴鞠なのか打毬なのかということが話題になったのを思い出しました。探してみたら、3年ちょっと前のことでした。
出土した柱穴からは、東西約17メートル、南北約5メートルの長方形の建物2棟が東西方向に並んでいたことがわかり、穴の規模や形状などにばらつきがあるため、仮設の建物だったとみられる、とのことです。
蝦夷や隼人をもてなすための饗宴施設や、壬申の乱の折に近江朝廷側が置いた軍営などの可能性が浮上しているそうです。
飛鳥からは、本当に何が出てくるか目が離せません。(^_^) 楽しみです。
明日、現地説明会とのことですが、残念ながら行けません。(^_^;
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この前も甘樫丘の南に、あんなのが出て来たばっかりですし・・・
その前は例の和製ピラミッド・・・まったく何が出て来るやら・・・
・・・そういえば、我が桜井市の方は、最近纏向の方がしずかですなあ
・・・纏向学研究センター(http://www.makimukugaku.jp/)なんてものが出来たんですが、最近はとんとその動静が・・・・
予算がないのかな?
投稿: 三友亭主人 | 2015年2月 8日 (日) 09時10分
ちょいとリンクの方が変な具合になってしまいました。
すみません。
投稿: 三友亭主人 | 2015年2月 8日 (日) 09時11分
三友亭主人さん
いろいろ出てきますよねぇ。♪
私が上代に関心があるせいだけかもしれませんけど、なんか、一番古い時代なのに、上代関係の大きな新発見が目立つような気がします。
纏向もそのうちまた何かドカ~~ンととんでもないものが出てくるかも知れませんね。
投稿: 玉村の源さん | 2015年2月 8日 (日) 14時47分