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2015年1月

2015年1月31日 (土)

城上・城下など

 先日の『日本地誌略字引』の大和国の郡名の条は以下のようになっています。
Chishiryaku07
 この国では、曽布、葛城、磯城の諸郡が早くに上下に分かれて、添上・添下、葛上・葛下、城上・城下になり、そんな表記でも、古くは、そふのかみ・そふのしも、かづらきのかみ・かづらきのしも、しきのかみ・しきのしも、と訓まれていたのでしょうが、いつの頃からか、字のままに訓まれるようになってしまったのでしょう。いつ頃からでしょうね。

 これらは、訓みと表記とが合っていないし、長いしで、無理もないですよね。もともと無理に二字に縮めてしまったわけですから。

 この本では、「上・下」の部分、添上・添下のみが「かみ・しも」と訓読み、葛上・葛下、城上・城下は「じょう・げ」と音読みですね。前の2組については、直上の「添」「葛」がそれぞれ訓読み・音読みなので、上・下もそれに揃えたのでしょう。

 「城上・城下」は古い時代にこの表記でそれぞれ「しきのかみ・しきのしも」と訓ませていたわけですから、その流れからは、「しきがみ・しきしも」と読んでも良いようなものですが、なぜか、「上・下」は音読されて、「しきじょう・しきげ」になっていますね。「しきじょう」というのが「色情」を連想させて嫌われたのでしょうかね。←かなりいい加減な思いつき。(^_^;

 「山辺」は「やまのべ」と訓んで貰いたいところですが、「やまべ」ですね。明治8年ともなると、なかなかそういう読みは伝承されていないのでしょうかね。

 すみません。今日の記事、取り留めがありません。うまくまとまらず、苦し紛れの記事になりました。

 もう少しましなことを書かねば。(^_^;

2015年1月30日 (金)

前橋は積雪なし

 今日は月に1度県庁付近で仕事のある日です。東京から向かうことになりますが、東京は夜から雪→みぞれ→雨。道路はシャーベット状態でした。

 これはぐんまは雪だんべぇ、と思い、ゴム長を履いて行くことにしました。ゴム長の底が直接雪では冷たかろうと思い、温かくなる中敷きを靴の中にセットし、万全の態勢です。
Gomunaga
 長靴は良いです。山でも川でもずんずん歩めます。♪

 東京駅までの交通は多少乱れていましたが、新幹線は定時運行でした。新幹線さえ遅れなければ遅刻する心配はありません。やれやれです。

 新幹線の車中から外を見ると、埼玉あたり、ずっと雪景色でした。

 ところが、しばらくしてふと外を見たら、全然白くない。高崎から前橋あたり、小雨になっていて、雪はかけらさえありませんでした。ゴム長が肩透かしになってしまいましたが、積もっているより良いです。

 県庁の昭和庁舎には、大河ドラマ館とぐんまの物産館とができていました。物産館は今度ゆっくり覗いてみたいです。
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 目の手術前、普段は遠距離用のメガネをかけ、読書やパソコンの時だけ近距離用のメガネをかけていました。就寝時と入浴時以外はどちらかのメガネをかけているので、メガネケースは1つで足ります。

 ところが、手術後、度数が変わってしまい。メガネをかけない方が良く見えるケースが出てきました。裸眼だと、2つののメガネの収納のために、もう1つメガネケースがいります。

 で、買ってしまいました。ぐんまちゃんの絵柄の桐生織です。買ったのは物産館ではなくて、県庁舎内の県民センターです。
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 今までも同じデザインの色違いを使っていました。
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 比べると、従来のは大分お疲れです。(^_^;

2015年1月29日 (木)

『日本地誌略字引』

 ネットオークションで入手しました。題簽が痛んでいますが、『日本地誌略字引』という本です。
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 奥付に依れば明治8年に刊行されています。
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 本文の第1ページはこんな感じです。ここは総説のような部分で、以下、旧国名ごとに、郡名や山川名、名所の名、産物などが列挙されています。「中央」という語の脇には「チユウワウ」というふりがながあり、下には「マンナカ」という説明があるなど、面白いです。
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 大和国の産物はこんな感じです。葛や墨は今も変わりませんね。
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 上野国の郡名の読みに興味を惹かれました。
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 群馬郡(この本では「群」の字が違っていますけど)に、「クルマ」と「グンマ」という2つの訓が付いています。右側に書いてある「クルマ」が正式な訓ということになりましょう。また、邑楽郡は今「おおら郡」と読みますが、ここには「ヲハラキ」とあります。

 群馬郡は古くは「車評」(くるまのこほり)で、和銅の郡郷名二字化の命令によって、「群馬」と表記されるようになりました。表記はこう変わっても、訓みは従来通り「くるま」のままで、江戸時代に至ってもなお「くるま」と読んでいた史料があります。

 邑楽郡は古くは「大荒城評」(おほあらきのこほり)で、母音連続を回避して、実際には「おはらき」と訓まれたとおぼしく、和名抄でもそう訓まれています。この郡名も二字化されて「邑楽」と表記されますが、訓みは従来通り「おはらき」であったと思われます。

 どちらの郡名も、表記は変わっても訓みは従来通りであったものが、やがて表記に引かれて、「ぐんま」「おおら」と変わったものと思われます。

 さて、この「やがて」がいつ頃なのかについてはあまり関心がありませんでしたが、こうして明治8年に至ってもまだ「くるま」「おはらき」と訓まれていることに驚きました。こんな時代まで古代の訓みが保持されていたのでしょうか。

 この文献の訓みが果して明治8年の実体を伝えるものかどうかは、定かではありませんね。この一冊には膨大な地名が載せられていますから、著者は果して1つ1つ確認を取ったのか。古い節用集などに依拠したものもあるかもしれません。そんなことの吟味も必要と思います。

 また別に思うことは、地元では古来から訓まれてきた読み方が表記に引かれて変わってしまうということは考えにくいことかもしれません。その土地以外の人が、正しい読み方を知らずに文字のままに誤読してしまい、それが多数派になったために地元でもそれを受け容れざるを得なくなって変化するのではないでしょうか。

 土井晩翠の名字は「つちい」なのに、多くの人が「どい」と読むので、本人も訂正するのが面倒になって諦めたというエピソードが思い浮かびます。

 そんなことを考えると、こうした地名の読み方が変化したのは、交通や通信が飛躍的に発達し、人の移動も盛んになった明治以降ということもあり得そうに思えます。

2015年1月28日 (水)

2015ぐんま冬国体

 高崎駅の新幹線改札の近くに、このようなものができていました。
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 今日から冬の国体が群馬県で開催されます。前橋、高崎、渋川が会場になります。

 ぐんまちゃんも広報に活躍しています。
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 カウンターにはぬいぐるみも。これは非売品でしょうね。顔がちょっと下すぼまりのように見えます。
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 近くには富岡製糸場への案内も。
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2015年1月27日 (火)

点字図書館に寄付

 先年亡くなった父宛に、毎年暮になると日本点字図書館から寄付の依頼状が来ていました。生前、父が寄付していたのだろうとは思いつつ、気になりながらも、毎年そのままにしてしまっていました。

 ところが、今年は自分自身が目の手術を受ける身となり、にわかに人ごととは思えず、初めて寄付金を振り込みました。現金なものです。(^_^;

 父の住所氏名が印字された振込用紙をそのまま用いましたので、名目上の寄付者は父ということになります。

 振り込んだらすぐに日本点字図書館から封書が届きました。中には館長名によるお礼状や領収書、確定申告時に税の控除に必要な書類などが入っていました。その中に下の書類もありました。
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 点字で打ってあって、ひらがなでふりがなが付いています。このふりがな、手書きです。寄付をした人全員にこのような手紙を出しているのでしょう。大変に手厚い対応と思い、心に響きました。

 この文面によれば、父は27年間も寄付を続けていたことになります。今まで知らなかった父のことを少し知ることができた思いです。

 長期間にわたる寄付を数年間途絶えさせてしまって、後悔しています。今後は途切れないように、父の名義のまま寄付を続けて行くつもりです。

 父名義では税の控除を受けることはできませんが、さしたることではありません。

2015年1月26日 (月)

洗顔・洗髪解禁

 白内障の手術から1週間経ちました。今日から洗顔・洗髪ができます。(^_^)

 え~~、汚い。1週間も洗顔・洗髪していなかったんですかぁ、と言われそう。(^_^;

 でも、暖かいタオルでちゃんと拭いていましたよ。

 慣れというのは恐ろしいもので、洗顔・洗髪しなくても良いような気分になってきていましたが、洗いました。(^_^)

 風呂場でひげそりもしました。電気カミソリよりも具合が良いです。折角買った電気カミソリ、お蔵入りです。勿体ない。

 無事に日常の生活に戻りつつあります。

 画像がないと寂しいので、点眼薬を載せます。この2種を1日6回ずつ点しています。
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 目薬はこのような遮光袋に入っています。
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2015年1月25日 (日)

佐野のわたし駅に行く

 昨年の12月22日に、上信電鉄に「佐野のわたし」という駅が新設されました。

 その4日後に、新幹線の車内からその駅を撮影して、「佐野のわたし駅新設」という記事を書きました。

 あれからほぼ1ヶ月を歴て、今日初めて駅に行ってみました。高崎駅から2つ目、6分、180円です。

 入場門。渡し船のデザインです。
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 駅のホーム。背後にある高架は新幹線です。昨年末は、あそこを通る新幹線の窓からこの駅を撮影したのでした。
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 駅名標。描いてある絵は、上信電鉄のデキ1形電気機関車で、上信電鉄の宝物です。大正13年にドイツから購入したもので、わが国で最も古い電気機関車だそうです。
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 イラストパネル。謡曲「鉢の木」に因んだ絵が描かれています。
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 駅名も、入場門、駅名標、イラストパネルのデザインも、すべて群馬県内の小中学生に公募して選ばれたものです。

 ただ、その学校名や氏名はどこにも書いてありませんでした。名誉なことなので、書いてあげれば本人にとっても嬉しいことでしょうが、子どものことでもあり、個人情報保護の観点から書けないのでしょうね。やむを得ないことと思います。

 この駅からは、残念ながら佐野の舟橋の歌碑は見えませんでしたが、徒歩5分ほどで行けます。

 行ってきました。上り電車の時刻を見て、ギリギリ間に合うように戻ってきたつもりでしたが、駅のすぐ近くまで来たところで遮断機が下りて渡れなくなってしまい、乗り損ないました。(^_^; 次の電車が来るまで30分ほど。電車を待ちながら卒論を読んでいました。(^_^)

2015年1月24日 (土)

成熟白内障

 また白内障の話で恐縮です。

 ご参考になればと思い、手術にまつわることなどを詳しく書きました。その内容に誤りや不正確なことなどがあっては却ってマイナスになります。

 何か気付いたことがあれば訂正したり補足したり致します。

 早速1つ追加。

 私の病名は「成熟白内障」でした。「進行した白内障なんだろうな」という程度の認識で、特にこの語について調べようとはしませんでした。

 今日になってふと思い立ってググってみましたら、あるサイトに次のようにありました。

>成熟白内障は、水晶体のにごりが全体におよぶ段階です。
>そうなると、外から見ても、瞳孔の部分が真っ白に見えます。
>視界が白い霧につつまれたようになり、視力の低下が顕著になります。
>成熟白内障になると、水晶体が大きくなります。そのため、手術をせずに放置していると、眼球内を圧迫し、「急性緑内障」になります。

 最後の文を読んでドキッとしました。

 手術を医師が急いだのは、眼底が見えないことを恐れたからと書きましたが、それだけではなくて、こういうこともあったのですね。そういえば、医師の言葉の中に「緑内障」という語もありました。白内障と緑内障とのダブルパンチでは溜まりません。

 いろいろと行った検査の中に眼圧の検査もありましたので、眼圧はそう高くはなかったのかもしれませんが、放置すれば緑内障にも繋がる可能性があったのでしょう。そうなる前に手術をして貰って、本当に幸いでした。

 その後は順調です。

 退院時に渡された紙に、手術した目に対する注意事項3項目が書いてありました。水を入れない、こすらない、ぶつけない、です。なるほどと思い、しっかりと守るように心掛けています。うっかりするとこすりそうになりますけど。

 実際に活動しているうちに、もう1項目追加したくなりました。異物を入れない、です。こんなこと手術後でなくても当然すぎることですけど、冬の群馬は、名高い空っ風が吹きすさびます。その風に乗って砂埃が吹き付けますので、これを防がねばなりません。自転車に乗っていれば虫が目に入ることもあります。ゴーグルとまでは行かなくても、眼鏡は必需品かもしれません。あと、自転車にはなるべく乗らないこと。家から最寄り駅までは仕方なく乗りますけど、職場と駅との間はバスかタクシーを使うようにします。

 退院した時は違和感のあった目の見え方も、慣れてくるにつれて、違和感はなくなってきました。

 手術前、普段は遠く用の眼鏡をかけ、読書やパソコンを使う時のみ近く用の眼鏡をかけていました。

 手術後も最初は同様に考えていたので見えづらかったのです。いろいろと試みた結果、要領が分かってきました。外出時など主に遠くを見る時は眼鏡はかけないのが一番よく見えます。室内やテレビを見る時などは、遠く用の眼鏡をかけるか、かけないか、距離次第です。本を読む時やパソコンを使う時も遠く用でほぼOKです。細かい字などを読む時のみ近く用の眼鏡を使う。

 これでほぼ不自由ない感じです。いずれ左右の目の度数に合わせて眼鏡の作り直しをすることになりましょうが、当面はこれでほぼOKです。

2015年1月23日 (金)

自転車はちゃんと駐めよう

 水曜日に退院し、昨日群馬に移動しました。そして、今日、出勤しようとて、自宅の最寄り駅に着いた時の駐輪場の有様です。
Yagihara20150123
 ちゃんと白線の内側に駐めないとダメですよね。通路が塞がって、自転車を奥に進めることができません。入口付近がボトルネックになっています。ほんと、腹立たしいです。

 事情は目に見えるように分かります。遅れそうになって、構わず、手前に自転車を突っ込んだのでしょうね。でも、これでは後から来た人が迷惑します。

 私もギリギリに駅に着くことはしばしばですが、どんなにギリギリでもこんな駐め方は決してしません。人に迷惑を掛けてはいけません。

 血の気の多い私としては、こんな邪魔な自転車は蹴散らして行きたいところですけど、自転車には罪はないし、邪魔な自転車を蹴散らすと、ちゃんと駐めてある自転車までとばっちりを食って将棋倒しになる可能性もあります。

 だから、蹴散らすことは(なるべく)しませんけれども、腹立ち紛れに、未必の故意的に体が動くことはあります。

 仕方ないですよね。(^_^;

2015年1月22日 (木)

白内障手術、その後

 手術は局所麻酔でした。ほとんど痛みは感じませんでした。

 顔には、手術する方の目の部分だけ穴が開いた布を掛けられてしまいましたので、何も見えませんが、声は聞こえます。所要時間ははっきりしませんが、20分くらいではなかったかと思います。

 手術が終わった後、車椅子を押してもらって、病室に帰りました。ベッドに横になって、以後2時間安静でした。その間、起き上がったりしてはいけませんが、2時間経過後は、運動制限はありません。

 翌朝、眼帯を外して貰いました。眼帯を外して、果して見えるようになっているのか、ドキドキするところですが、手術が終わった直後、眼帯をするまでの一瞬にあたりが見えていましたので、わりと気は楽でした。

 かなりきれいに見えました。手術前にはほとんど見えていませんでしたので、夢のようです。

 朝食後、医師の診察がありました。順調だそうです。そして、眼底もきれいだとのことでした。手術を急いだのは、水晶体が濁っていて眼底が全く見えないことを医師が不安に思ったということが大きな理由ですが、結果的に眼底には異常はなく、これまた幸いなことでした。異常がないばかりか、きれいだと言われたのは嬉しかったです。

 午後視力検査があり、結果は1.2でした。手術から24時間でもうこんな数字になったことに驚きました。そして、見え方がクリアです。新品の人工水晶体の賜物ですね。

 この日から、1日6回の点眼が始まりました。目薬は2種類です。1つは副腎皮質ホルモンで炎症防止、もう1つは抗菌剤のようです。その2種を5分以上の間隔を開けて点しますが、2つ目をうっかり忘れそうになります。点す時間は、6時、9時、12時、15時、18時、21時です。この点眼は退院後も続きますが、夜更かしの私は時間をずらして、朝6時の代わりに、午前0時にしています。しかし、なかなか時間通りにはできません。

 入浴は手術当日と翌日は禁止ですが、翌々日からは首から下は入浴もシャワーもOKです。ただ、洗顔と洗髪は1週間禁止。夏場はつらいでしょうね。目に水や石鹸が入ることがいけないので、蒸しタオルで拭いたり、美容院などで仰向けで洗髪して貰うのはOKです。

 ひげそりは、かつては電気カミソリをつかっていたこともありますが、ここ20年ほどは入浴時にカミソリをつかっていますので、これは困りました。1週間剃らないわけにもゆかないので、電気カミソリを買いました。(^_^;

 昨日、退院して帰宅したときに、見慣れた部屋がいつもと違って見えたので、また改めて、クリアに見えるようになったことを実感しました。

 左右の目の度数がだいぶ違ってしまったこと、今まで使っていた眼鏡の度数が、手術した方の目だけ合わなくなってしまったこと、人工水晶体は固定焦点であること、などが違和感としてあります。段々に慣れてきましたし、やがて視力が安定すれば(数週間かかるそうです)、改めて眼鏡を作ることになりましょう。

 今日は写真はなし。まだ白目が一部充血しています。その写真など載せられますけど、止めておきましょう。(^_^;

 白内障手術に関する体験談はそんなところです。何か書き忘れたことがあれば、今後もまた書くことにします。

2015年1月21日 (水)

白内障の手術

 一昨日の19日(月)に入院して、白内障の手術をしました。手術は無事に終わり、今日、退院してきました。よく見えるようになりました。♪

 ブログのネタに事欠いている私としては、一昨日から「病院なう」などの記事をアップすることも考えたのですが、お騒がせしても何なので、退院してから載せることにしました。

 まほろぐメイトの方々の中には、白内障はまだまだ先の方もいらっしゃいましょうが、ご参考になる点もあるかと思い、経緯など、少し詳しく書きます。

 まだ学期が終わっていない時期ですので、手術は、本当は、夏休みなど、影響の少ない時期を選べば良かったのですが、大分進行してしまっていたために、できるだけ早い方が良いと言われ、センター試験が終わった翌日の日程になりました。

 白内障を甘く見ていました。昔は失明に至る病気だったわけですが、今は手術すれば治る病気になり、その手術もあまり苦痛を伴わず、日帰りでもできるようになったわけで、ありがたい時代になりました。そんなことで、却って油断してしまったのですねぇ。

 私は、2年前に左目が白内障の診断を受けました。まだなりかけだったようです。手術は、折を見て、それこそ年単位で考えれば良いと思っていました。ところが、異様に進行が速く、去年の夏頃には左目はほとんど見えなくなっていました。それでも暢気なもので、右目は見えているので、日常生活にはあまり困らず、まだ緊急性は認識していませんでした。

 でも、ある時、今は右目が見えているから良いけれども、何かの事故か病気で右目が見えなくなったら、もう失明状態ではないかと思い至り(←気付くのが遅い)、日帰り手術をしている眼科の中から信頼できそうな医院を選んで、診察を受けました。去年の12月の上旬です。

 いろいろな検査をしていただいた中で、眼底検査も受けたのですが、左目は水晶体の濁りが甚だしく、眼底が全く見えないということです。もしも網膜剥離などの他の病気があっても全く分からないので怖い。少しでも早く手術をした方が良いと言われました。この目は3年前に網膜裂孔を起こしていますので、網膜剥離のリスクは高いのだと思います。

 そんなことで、病院に紹介状を書いて頂き、そこでもまたいろいろな検査を受けました。眼底もエコーか何か、目視とは別の検査もして頂き、どうやら網膜は大丈夫そうだということになりました。それで、年内の手術をするには及ばないという判断で、年明けの手術となりました。

 通常、白内障の手術は、3mmほど切開して、水晶体嚢から水晶体を取り出し、代わりに人工水晶体と置き換えるそうです。私の場合もそのような手術を行う予定だが、大分進行しているので、切開する大きさは3mmでは済まず、10mmを超える可能性もあること、場合によっては、人工水晶体を縫い付ける手術が必要になるかもしれないことなどが告げられました。

 白内障は眼底が見えなくなるほどに放置してしまってはいけないのだと初めて知り、大いに反省しました。

 一昨日の朝9時過ぎに入院しました。すぐに手首にタグが付けられ、退院直前まで付けたままでした。また、何かの度ごとにフルネームを聞かれました。人違いを避けることにずいぶん注意を払っていると感じました。
Byoinwrist
 手術は午後2時半からの予定です。11時半から(だったかなぁ)、30分おきに目薬の点眼を行いました。2時頃(だったかなぁ)からは点滴も始まりました。

 麻酔は手術する目と同じ側の耳の下あたりに注射し、あとから目にも追加の麻酔をしました。目の麻酔は点眼だったと思います。手術中はほとんど痛みを感じませんでした。

 手術は幸い当初の予定通りの最小の切開で済んだそうです。人工水晶体の縫合もなし。誠に幸いで、ありがたいことでした。

 手術が終わった直後、左目でものが見えました。すぐに眼帯をされてしまいましたが、ものが見えたというのは嬉しいことでした。
Hakunaisho
 手術前には、手術後、無意識に目をこすってしまったら困ると心配でしたが、こんな状態ではこする心配はありません。念のため、この上からさらに眼鏡をかけていました。

 翌朝、眼帯が取れ、はっきりと見えるようになっていました。嬉しかったです。

(つづく)かも

2015年1月20日 (火)

やまさとの副産物(2)

 4枚1組のやまさと応縁隊の絵はがき、昨日ご紹介した残りの2枚をご披露します。

 まず1枚。
Yamasato2014f
 最後の1枚。
Yamasato2014g
 解説です。
Yamasato2014h
 同じ言葉でも、共通語とは意味が違うのですね。てんぷらって、室町時代に入ってきたポルトガル語由来の外来語ですよね。国内を伝播して六合地域に至るまでの過程でこういう意味になってしまったのでしょうね。どこでどう変わったのか、各地の方言を知ることで、見えてくる部分もあるかもしれませんね。

2015年1月19日 (月)

やまさとの副産物(1)

 先日ご紹介した「やまさと応縁隊2014」の活動の一環として4枚1組の絵はがきが作成されました。それをご披露します。まずは2枚。

 1枚目。
Yamasato2014c
 2枚目。
Yamasato2014d
 以下のような解説が付いています。
Yamasato2014e

2015年1月18日 (日)

センター試験2015

 センター試験が無事に終了しました。受験生も監督者も大変だったことと思います。昔はもっとシンプルだったはずなのに、じわじわと複雑化していっています。できるだけ単純な方が間違いが無くて良いと思います。

 タイトルの「2014」には特に意味はありません。去年も「センター試験」というタイトルで記事を書いたかもしれず、来年以降も書くかもしれないので、区別したまでです。

 いつもながら、問題が解けない。(^_^; いえ、国語や日本史はともかく、他が。(^_^;

 今日の1時間目は、「物理基礎」「化学基礎」……という科目名でしたので、「基礎なら」と思ったのですが、甘かったです。(^_^;

 私が受験生だった頃からは半世紀とは言わないまでも45年くらいは経ってしまっているので、記憶が消滅してしまったのかもしれませんが、それだけじゃなくて、教わっている内容が大幅に変わってしまったのではないかと、これまた毎年思っています。そうでなけりゃ、これほどまでに浦島太郎状態にはならないのではないかと。(^_^;

 私が監督した部屋に、かばんにぐんまちゃんのマスコットを着けていた受験生がいました。親近感を持ちましたが、話しかけたりはしませんでしたよ。(^_^)

2015年1月17日 (土)

やまさと応縁隊2014

 1年ちょっと前に、「やまさと応縁隊」の記事を載せました。これは、群馬県立女子大学の国文学科有志が、中之条町の六合地域で育まれてきた絹文化を紹介しようという取り組みで、県の補助を受けて行ってきたものです。

 この活動は今年度も行われました。ただ、昨年度は絹文化でしたが、今年度は食文化です。

 その報告書が完成しました。下は表紙です。
Yamasato2014a
 これは裏表紙。
Yamasato2014b
 学生さん達は単位になるわけでもなく、完全に有志としての参加です。でも、単位にはならなくても、間違いなく良い勉強になったことでしょう。卒論に繋がることと思います。

2015年1月16日 (金)

舒明天皇陵? 蘇我蝦夷墓?

 昨夜のNHKニュースで、舒明天皇陵と見られる遺構が発見されたとの報道を何度か見ました。

 TVでは詳細が分かりませんでしたので、今日、新聞を読みました。

 それによると、明日香村から未知の巨大な遺構が現れ、石材を貼りつけた古墳の堀割と見られること。墳丘は失われているものの、規模は石舞台古墳よりも大きいとのことです。その石は、奈良県東部産の「榛原石」で、この石で墳丘を覆う古墳が造られたのは7世紀中頃に限られること、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳を上回る墓を築ける人物として、舒明天皇の名が浮上したとのことです。

 場所は、県立明日香養護学校のある場所で、甘樫丘の南端とのことです。亀石の北西ですね。

 舒明天皇陵に関しては、日本書紀に2つの記事があります。

 ・ア.息長足日広額天皇を滑谷岡に葬りまつる。(皇極元・12・21)
 ・イ.息長足日広額天皇を押坂陵に葬りまつる。(皇極2・9・6)

 一度葬られた後、わずか9ヶ月後に改葬されたようです。

 このうちイは、現在宮内庁が舒明天皇陵に指定する段ノ塚古墳(桜井市)が確実視されており、今回発見された遺構は、アに当たると考えられるとのことです。

 猪熊兼勝氏は、舒明の没後、妻の皇極天皇が即位すると、蘇我氏はそれまで力が均衡していた天皇家より優位に立った。蝦夷、入鹿父子は甘樫丘に邸宅を造って周辺を開発。丘の南端にあった舒明陵も改葬させたのでは、と推測しています。

 なるほど、と思います。この古墳の墳丘がいつごろ壊されたのかは分かりませんが、抜け殻になった天皇陵ならば壊されてもおかしくないように思います。

 一方、白石太一郎氏は、当時の飛鳥は蘇我氏の本拠地。蘇我氏と張り合った舒明がそこに墓を造ったとは思えない。とのことで、この遺構は蘇我蝦夷が生前に築いたと日本書紀に記された「大陵」と推測しています。

 これまた、なるほどです。

 今後の発掘調査や推定に注目して行きたいと思います。

 しかしまぁ、飛鳥でも未知の古墳が新たに発見されることがあるのですね。意外でした。

2015年1月15日 (木)

ぐんまちゃんから年賀状♪

 ぐんまちゃんに年賀状を出していたところ、返事が来ました。(^_^)
Gunmac_gajo2017a
 表はこんなです。差出人は「ぐんまちゃん」じゃなくて、「ぐんまイメージアップ推進室」となっています。ちょっとがっかり。私はオトナだから良いとして、子どもは泣いちゃいませんかね。
Gunmac_gajo2017b
 去年のはこうでした。この方が良いと思います。
Gunmac_gajo2016b

2015年1月14日 (水)

前橋で出前講座&二子山古墳

 今日は前橋にある群馬県生涯学習センターで出前講座をしてきました。テーマはまた「古事記を読む」で、内容はまたまた天石屋戸です。→レジュメはこちら。

 帰りがけに、近くにある二子山古墳を見学してきました。前方後円墳です。前橋駅の南東、徒歩25分ほどの所にあります。築造の年代は6世紀前半~7世紀初期ということで、推定の時期に大分幅があります。下の写真、向かって左が前方部、右が後円部です。結構大きいので、カメラの画角に収まらず、2つに分割して撮影し、後ら合成しました。
Amagawafutago01
 標柱です。
Amagawafutago02
 前方部から群馬県庁(中央の茶色い建物)を臨む。背後の山は榛名山です。
Amagawafutago03
 後円部から前方部を見る。
Amagawafutago04
 出前の度に史跡めぐりをしています。(^_^)

 なお、先日の土屋文明記念文学館のついでに寄った古墳も二子山古墳、11月に前橋西高のついでに寄った古墳も二子山古墳でした。全部別の古墳です。前方後円墳は「二子山」と名づけられることが多いようですね。

2015年1月13日 (火)

「日本誕生」

 先週と今週、古事記の授業で「日本誕生」というビデオを見ました。
Nippontanjo
 授業では倭建命の段を読んでいます。この映画がちょうど倭建命が主人公ですので、映画を見比べるのも面白いかと。(^_^)

 この映画、昭和34年の東宝作品です。制作本数1000本の記念作品であり、芸術祭参加作品だそうです。

 特撮は円谷英二です。(^_^)

 メインストーリーは倭建命ですが、途中、天石屋戸と八俣大蛇の話が挿入されています。主な配役は以下の通りです。

倭建命・須佐之男……三船敏郎(二役)
景行天皇……中村鴈治郎
倭姫……田中絹代
弟橘姫……司葉子
美夜受姫……香川京子

熊曽建・兄……志村喬
熊曽建・弟……鶴田浩二

相模国造……田崎潤

天照大神……原節子

天御中主神……左卜全
思金神……柳家金語楼
天児屋命……三木のり平
布刀玉命……加東大介
玉祖命……榎本健一
伊斯許理度売命……有島一郎
天津麻羅……小林桂樹
手力男命……朝汐太郎
天宇受女命……乙羽信子

奇稲田姫……上原美佐

語り部の媼……杉村春子

 今どきの学生さんは誰一人知らないでしょうね。残念です。

 高天原の神々、お笑いの人や軽妙な芸風の人が多いですね。戦後14年、日本神話を扱うのは、難しかったことでしょう。作り方次第で、右からも左からも責められそうです。

 心を打つような種類の作品ではないのですが、最後、亡き倭建命の魂が白い鳥になって空を飛んでいる姿を見たら、不覚にも涙が出そうになりました。

2015年1月12日 (月)

佐野のわたし駅再び

 先月、上信電鉄に「佐野のわたし」という新駅が開業しました。当ブログでも、新幹線から撮した駅の写真を載せました。

 駅全体はわりとよく撮せましたけど、屋根の文字がかなり斜めで不満でした。

 そこで、何度かリベンジを試みていました。昨日、屋根がわりとよく撮せました。
Sanowatashi05
 今後もさらに挑戦を続けます。(^_^)

 新駅の場所は新幹線の高架のすぐ近くです。下り新幹線に乗って左側になります。新幹線は自動車と同じように上り下りが左側通行ですれ違います。下り新幹線では左の窓際に座れば、Maxの二階はもちろん、一階建ての新幹線からでも撮せます。Maxの一階は試みていませんけど、たぶん撮せると思います。二階席が好きなので、Maxの一階には乗ったことがありません。(^_^;

 上り新幹線に乗った場合、新駅は下り新幹線の線路を挟んで向こう側になりますので、新駅は見えないと思います。それくらい新幹線の高架に近いです。

2015年1月11日 (日)

土屋文明記念文学館で出前&保渡田古墳群

 今日は群馬県立土屋文明記念文学館でオープンセミナーをしてきました。愛知大学教授の和田明美先生との掛け合いシンポジウムのような感じで、今回が3回目になります。今回のテーマは東歌の地名でした。私は「地名の果たす役割」という題で話をしました。和田先生の題は「東歌の地名と言語イメージ-上野国の地名を中心に-」です。

 二人、異なるテーマでありながら接点もあり、面白かったです。私のレジュメはこちら。地図は、実際の配付資料ではモノクロですが、ここではカラーでご覧いただけます。(^_^)

 会場に少し早く着いたので、隣接する古墳などを見てきました。

 復元した竪穴住居がありました。初めて見る気がしましたが、作りたてとは思えません。今まで見過ごしていたのでしょうか。(^_^; 背後の古墳は二子山古墳です。
Bunmei201501a
 竪穴住居の内部です。
Bunmei201501b
 別の角度から撮影。背後に見えるのは八幡塚古墳です。
Bunmei201501c
 八幡塚古墳です。手前の埴輪も初めて見るような気がしますが、これも今まで見過ごしていたのか?
Bunmei201501d
 左側は八幡塚古墳の後円部、中央部手前は外濠の中島(珍しいと思います)、右側は土屋文明記念文学館、中央奥は榛名山です。
Bunmei201501e
 記念文学館の敷地内にある山村暮鳥の詩碑。
Bunmei201501f
 同じく土屋文明の歌碑です。太陽の向きがちょうど良く、鮮明に撮れました。ただ、「文明」という署名が影になってしまったのが残念です。
Bunmei201501g

2015年1月10日 (土)

親指シフト

 今日は渋谷で会議がありました。会議の後、付近を散策し、表参道の駅から地下鉄に乗りました。

 その道中、このような看板が目に入りました。
Access
 その昔、ワープロ専用機が広く使われていた頃、富士通の親指シフトがすぐれているという評判でした。やがてパソコンの時代になって、ワープロ自体が作られなくなりましたが、親指シフトには根強い支持者がいるようです。

 パソコンでも、親指シフトのキーボードを接続すれば(ソフトウエアも必要ですが)、親指シフトが使えるそうで、日本で唯一青山にそういう店があると聞いたことがありました。

 どうやら、それがこの店だったようです。

 私は親指シフトは使ったこともありませんが、この看板を見て、「おお!」と思ったことでした。

2015年1月 9日 (金)

烏川のコハクチョウ

 勤務先の最寄り駅から勤務先に向かう時に、烏川という川を渡ります。そこに毎年コハクチョウが飛来します。

 今シーズンもしばらく前にやってきました。それを写そうと思いながらも、出勤途中に川岸まで行っていたのでは遅刻してしまいます。といって、帰りにはもう日が暮れています。

 そんなことで、なかなか撮影の機会に恵まれませんでしたが、今日、やっと写せました。(^_^)
Kohakucho201501a
 数十羽います。

 群から離れて優雅に泳いでいるのも。
Kohakucho201501b
 コハクチョウの群とは別の所に黒いのが2羽いました。
Kohakucho201501c
 この写真はやや露出オーバー気味でこのような色になっていますが、見た目はもっと黒っぽいです。形は白鳥と同様ですね。コクチョウでしょうか。筒井先生にお教え頂きたく存じます。

2015年1月 8日 (木)

ぐんまちゃんと羊

 このブログでも何度かご紹介した「ぐんま広報」題字脇のイラスト、1月号は以下のようでした。
Gunmac_koho201501
 羊が気持ちよさそうです。温泉につかっている羊の絵というのはあまり見たことがありません。

 ぐんまちゃんはいつも通りの表情。(^_^) というか、いつも同じ表情ですよね。(^_^;

 途中のページにはこんなイラストもありました。
Gunmac_hitsuji
 12年後の年賀状に使えるかな。

2015年1月 7日 (水)

正倉院宝物切手 第1集

 郵便局のカウンターにあるのをたまたま見つけました。
Shosoinkitte01
 平成26年10月17日の発行です。郵便局にはちょくちょく寄っているのですが、発行後3ヶ月近くも気付きませんでした。

 第1集とありますので、今後、続きが発行されることでしょう。楽しみに待つことにします。

 本当は、お札や切手を画像化してはまずいのでしょうが、実物より大分小さいので、まぁ良いかと。(^_^;

2015年1月 6日 (火)

おきあがりこぼし

 頂き物です。
Okiagari01
 中身はこのような和菓子です。
Okiagari02
 初めて食べる味ですが、今まで食べたことのあるお菓子の中では桃山と似ています。おいしゅうございました。

 だるまというと群馬を連想するほど有名ですが、このお菓子は京都の笹屋伊織の製品です。

 パッケージも中身も、だるまの表情が穏やかな感じがします。所変われば、です。

2015年1月 5日 (月)

上毛かるたのクリアファイル

 群馬県民なら誰もが知っている「上毛かるた」。

 今日、久し振りに高崎駅構内のぐんまちゃんショップを覗いたら、その上毛かるたのクリアファイルがありました。これを見たのは初めてです。新製品かもしれません。
Jomokaruta_cf01
 札は全部で44枚でしょうか。このクリアファイル、5×9=45のマス目で、1つ余ります。余ったところにはさりげなくぐんまちゃんの顔が。(^_^)

 ウラは読み札です。
Jomokaruta_cf02
 下のような解説書が入っていました。
Jomokaruta_cf03

2015年1月 4日 (日)

駅弁?

 新年早々、とてもたのしい戴きものをしました。
Ekibentowel01
 一見駅弁ですが、中身はタオルです。
Ekibentowel02
 こういうの大好きです。♪ ただ、惜しむらくは、パッケージに「駅弁タオル」って書いてあるんですよね。これで、開ける前に中身がタオルだということが分かってしまいます。

 何とも惜しいです。

 東京駅開業100周年の記念グッズの1つのようです。

2015年1月 3日 (土)

「花燃ゆ」

 今年のNHK大河は「花燃ゆ」。明日が第1回です。吉田松陰の妹が主人公ですが、この人は後に初代群馬県令の妻になるということで、群馬は、特に前橋は燃えています。(^_^)

 県庁の隣に昭和庁舎という建物があります。この中に「ぐんま花燃ゆ大河ドラマ館」が1年間にわたって開設されます。下の写真は昭和庁舎の内部です。結構重厚な雰囲気です。今の県庁舎ができるまでは、この建物が県庁舎でした。
Hanamoyu01
 立て看板のアップです。これを撮したのは暮の26日でした。
Hanamoyu02
 下は更に前の撮影ですが、屋外には「花燃ゆ」ののぼり旗も立っていて、熱心な宣伝がなされていました。
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 ドラマの初めの方は長州が舞台になることでしょう。群馬が舞台になるのはいつ頃になりましょうかね。番組の最後に「花燃ゆ」紀行のようなおまけが付くことでしょう。そこでも群馬のあちこちが取り上げられることでしょう。それも楽しみです。

2015年1月 2日 (金)

『たのしいおみせ』

 ネットオークションで購入しました。絵本です。
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 私と同い年です。自分が生まれた頃のことに関心がありまして。私は10月生まれなので、この本の方が半年先輩になります。
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 戦後まだ6年です。紙は結構厚手です。全部で見開き4面。それぞれに、花屋さん、お菓子屋さん、おもちゃ屋さん、果物屋さんが描かれています。このあたりが当時の子供たちの人気のお店なのでしょうかね。

 下の絵はおもちゃ屋さんです。ぬいぐるみやブリキのおもちゃ、セルロイドのおもちゃ、積み木、着せ替えなどが見えています。お母さんは和服ですね。
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 下はお菓子屋さんのページの文です。主人公の名前は「ルミちゃん」だということが分かります。当時としてはずいぶんハイカラな名前だったのではないでしょうか。人の名前の傾向も時代によってずいぶん変遷していますね。
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 果物屋さんでは以下のような会話が交わされていました。絵を見ると、「おにいさん」は半ズボンを穿いていて、小学生くらいです。最後の部分のセリフ、ちとリアリティがないような。(^_^;
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2015年1月 1日 (木)

群馬の経済10大ニュース2014

 「ぐんま経済新聞」というローカル紙があります。そこに、昨年12月に群馬県の経済10大ニュースが載っていました。
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 第1位は富岡製糸場の世界遺産登録。たくさんの人が訪れ、新たなお土産品も開発され、経済効果は大きいものと思います。

 第2位はぐんまちゃんがゆるキャラグランプリで優勝。これも群馬県の知名度アップに繋がったでしょうし、ぐんまちゃんグッズもたくさん発売されています。

 第3位の大雪は大変でした。大きな被害が出ましたし、交通や流通にも大きな影響が出て、マイナス効果は甚大だったことでしょう。

 第4位の……。すみません。4位以下は3位までと比べて懸隔が大きすぎて、素人の私にはコメント不能です。(^_^;

 良い1年になりますように。

あけましておめでとうございます

Hitsujiwagashi
 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 昨日、お正月の準備らしいこともろくにしませんでしたが、和菓子を買い、予約していたおせち料理を受け取り、線香立ての灰を掃除し、お風呂を洗って、ヒゲを剃り、髪を洗い、手足の爪を切りました。そんなとこですかね。

 画像は買ってきた干支の和菓子です。

 ヒゲと手足の爪とを切りって、天石屋戸のあとで高天原を追放されるスサノヲと同じだなぁと思いました。(^_^;

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