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2014年12月 7日 (日)

金井東裏遺跡よろい人骨の出身地

 一昨日の記事「群馬あるある本、続々と」に頂いたしーちゃんさんからのコメントで、渋川で出土したよろい着装人物が長野から来た可能性があるということを知りました。

 この報道は見逃していました。ググってみたら、上毛新聞と東京新聞がヒットしました。

 ネット版上毛新聞の記事は11月26日(水) AM 09:00のもので、見出しは「金井東裏遺跡 被災男女は長野育ち? 」。記事は以下の通りです。

 6世紀初頭(古墳時代後期)の榛名山噴火で被災した金井東裏遺跡(群馬県渋川市)で、犠牲者の人骨として出土した甲(よろい)を着た男性と首飾りを着けた女性は、幼児期に県外の同じ地域で育ったことが25日、分かった。歯のエナメル質に含まれる元素の一つ、ストロンチウムの同位体比分析で、2人の結果がほぼ一致した。専門家によると、馬生産が盛んだった長野県地域で育ち、本県地域に移動してきた可能性がある。当時のヤマト王権と本県地域の強い結び付きを生んだ馬生産を、榛名山北東麓で支えた有力者の姿が浮き彫りとなった。

 次にネット版東京新聞群馬版の記事は12月4日(木)のもので、上毛新聞よりも1週間ほど後のものです。見出しは「県外出身か 骨から判明 渋川・金井東裏遺跡」というもので、記事は以下の通りです。

 渋川市の金井東裏遺跡で六世紀初め(古墳時代)の火山灰層から見つかった、よろいを着た男性と首飾りをつけた女性は骨の調査から、現在の群馬県外で、同じ地域の出身とみられることが、県埋蔵文化財調査事業団の調査で分かった。
 二人が具体的にどこの出身かは不明だが、調査を担当した九州大アジア埋蔵文化財研究センターの田中良之センター長は「二人を含む複数人が、何らかの目的で遺跡近くまで移動してきたのではないか」と推測している。
 調査結果は、十一月二十五日の委員会で発表された。よろいを着た状態で見つかった男性は、馬に乗ったり弓を引いたりするための筋肉が発達していたとみられ、女性は出産経験のある可能性が高い。
 二人の骨に含まれる物質を分析した結果、群馬とは違う、同じ地質の土地で育ったとみられる。田中センター長によると、長野周辺などの可能性があるという。
 二人の出身地は同じとみられる一方、男性の顔立ちは大陸から日本に渡った人を先祖とする渡来系で、女性は鼻が横に広がった関東・東北に多い顔だった。さらに分析を続ける。
 遺跡では二〇一二年以降、男女と乳児、幼児の人骨が発見された。よろいを着用した状態で見つかるのは非常に珍しいとされ、榛名山の大噴火で火砕流に巻き込まれたとみられている。幼児は調査の結果、遺跡近くで生まれ育ったとみられた。

 2人の出身地を長野と考える根拠がどの程度の確からしさを持つものかどうかはっきりしませんが、この東京新聞の記事にはいろいろと興味深い内容が載っていますね。

 よろい人骨の頭蓋骨の写真まで載っていました。知らないうちにずいぶん調査が進んだものと思います。

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古代群馬」カテゴリの記事

コメント

 取り上げてくださり、ありがとうございます。土曜日の前橋であったシンポジウムにも行ってきました。長野から来たらしい古代人は、その地方のリーダーらしいですね。いろいろ調べた田中先生、すごいです。

 また、韓国からきた学者3人、ユーモアのある方もいて、日本人と同じ顔です。韓国と日本と、つながりが深いんですね。

 渋川の白井遺跡は、馬の足跡、世界一多いという話もありました。また、御嶽山の犠牲者への黙祷から始まったのも、火山災害だったことを,,改めて感じさせられました。

しーちゃんさん

 シンポジウムに行かれましたか。熱心で、すばらしいです。

 考古学って、理系と文系の両方が必要な学問分野だと思います。どちらかだけではダメなんですよね。学際的です。

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