多胡碑の近くで郡衙の正倉跡発見
昨日付の上毛新聞や朝日新聞群馬版によれば、多胡碑の南500mほどの発掘現場で建物跡が出土し、高崎市教育委員会が14日に郡役所の正倉跡と認定し、発表したということです。
ということは、郡役所は多胡碑の近くにあったことになります。多胡碑は、新しく多胡郡を設置したことを記念する建郡記念碑と考えられますので、そういった性格の碑の立地として、郡役所の近くというのは最も相応しいでしょう。
今後、さらに発掘が進むことを期待します。
多数の瓦も見つかっているそうですが、屋根に瓦を使った正倉は全国でも少なく、平定していなかった東北地方に対し、中央政府の権威を示す狙いなどが考えられるということです。
写真が無いと寂しいので、昔撮った多胡碑の覆い屋の写真を載せます。今回の新聞記事と直接の関係はありません。
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現地説明会が昨日あったそうですね。知らなかったので、行けず残念。説明聞かないと、掘ったあとがあるだけで、わかりにくいですよね。
高崎市と合併する前から、吉井は、多胡碑記念館の近くを発掘する予定だったそうです。合併後、発掘が決まって、そして発見した、ということらしいです。この北方が、確か、御門(みかど)という小字だったと思います。
ますますおもしろくなってきましたね。
投稿: しーちゃん | 2014年11月17日 (月) 19時03分
しーちゃんさん
現地説明会があったのでしたか。それは知りませんでした。
「みかど」という小字名も示唆的ですね。地名は大事。
投稿: 玉村の源さん | 2014年11月18日 (火) 21時50分