前橋西高で出前授業&二子山古墳
今日は前橋西高校で出前授業をしてきました。テーマは、「万葉集の恋歌をよむ」です。70分の授業で、B4両面に歌を載せたプリントを用意しました。よめた歌は表側だけ。半分しか進みませんでした。選んだ歌がちょっと多すぎました。あと、ぐんまちゃんのことなど、雑談も多すぎたかも。(^_^;
レジュメはこちらです。
高校の場所は群馬総社の駅から3kmほどです。歩いて行くと、1km10分として、30分かかります。集合時間は14時20分のところ、駅に着いたのは13時10分でした。ちょっと早すぎるので、駅の近くにある二子山古墳に立ち寄りました。立ち寄ったのは時間稼ぎということもありますけど、ブログに写真を載せられるというのも大きかったです。字だけだとつまりませんから。(^_^) ブログのオニですな。(^_^;
これがその古墳です。6世紀末の築造とみられる前方後円墳で、全長90m、前方部と後円部とにそれぞれ石室があるとのことです。
すぐ近くに民家が建っていて、遠くから撮影できる良い場所がないので、全体像を撮すのが困難です。下の写真は前方部から臨む後円部。なんとなく、くびれがお分かりと思います。
前方部の墳丘上には、「豊城入彦命」と彫った石碑が建っています。
碑の側面には「正三位刑部卿藤原朝臣貞直謹書」とあります。藤原貞直は江戸時代文化文政の頃の人のようです。公卿なので『公卿補任』に載っているはずですが、家にある『公卿補任』は奈良・平安の部分だけです。(^_^; 今度調べておきますね。ともあれ、江戸時代にはもうこのような碑が建っていたことになります。
豊城入彦命は、記紀によれば、崇神天皇の子で、上毛野氏の祖とされます。6世紀末の古墳では時代が全く合いませんし、上毛野氏一族の墓であるかどうかも不明です。
そこから、前橋西高に向かって歩いて行く途中、このような門がありました。「旧前橋城冠木御門」と書いた標柱があります。
前橋城はずっと離れた場所にありますので、この門は前橋城から移築したということなのでしょうが、冠木門は、2本の柱の上に横木を渡した形式の門のことですので、この門が冠木門というのは不審です。
途中、道がちょっと狭い場所もあり、車をよけるために脇に寄ったら、枯れた枝というか、茎というかが、ズボンにたくさん刺さってしまいました。先端に毒でも仕込んであったら命が危うかったです。……って、誰もそんなものは仕込みません。(^_^;
こんなものがたくさん刺さったままで高校に行くのも何なので、途中にあったベンチに座って、じっくり抜いてから向かいました。
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