白滝姫と続日本紀
群馬県の桐生市で、「織都桐生千三百年記念」の様々な催しを行うようです。こういうチラシが回ってきました。主催は桐生織物協同組合です。
描かれている女性は白滝姫です。
この白滝姫については、以前、当ブログでも「白滝姫」と題して触れたことがありました。私は、東京の八王子で機守(はたがみ)神社という小さな祠のような神社を見かけ、そこの解説板で白滝姫のことを知ったのでした。その文中にも上野国が登場していました。
さて、平城遷都千三百年、風土記撰進の詔千三百年、多胡碑千三百年に続いて、「織都桐生千三百年」です。その理由はチラシの裏に書いてありました。
続日本紀の和銅六年(713)五月十一日の条に「相摸・常陸・上野・武蔵・下野の五国の輸(いだ)す調、元来(もとより)是れ布なり。今より以後、*(糸ヘンに「施」のツクリ・あしぎぬ)・布並に進(たてまつ)らしむ。」とあります。
さらに、その翌年の和銅七年(714)正月二十五日の条に「相摸・常陸・上野・武蔵・下野の五国に令して、始めて*(糸ヘンに「施」のツクリ・あしぎぬ)の調を輸(いだ)さしむ。但し布を輸(いだ)さむことを欲(ねが)ふ者には許す。」とあります。
この記事ですね。
ま、うるさいことを言えば、これは上野国が調として「あしぎぬ」を納めたという記事で、直接桐生の話ではないのですが、このあしぎぬの中に今の桐生産のものも含まれていたかもしれません。
ともあれ、続日本紀好きの私としては、思いがけないところで続日本紀という名を見て、嬉しかったです。
続日本紀好きといいますか、私が初めて公にした論文は、国語国文学関係の雑誌ではなくて『続日本紀研究』に載せて貰ったものでした。その後、続日本紀の研究からは離れてしまいましたが、今でも続日本紀には大いに関心があります。また戻って来たいです。
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来年、記念行事を行うらしいですね。ポスターの白滝姫は平安時代の出で立ちですが、1300年前だと、本当は高松塚壁画風の服なんでしょうか?
白滝姫伝説は、桐生ではずっと長い間地元に伝えられてきたのですね。すごい文化的財産です。
確か、都のお姫様が、桐生から来た若者の帰郷の際に望まれて嫁ぎ、一緒に来たのだったですよね。
万葉ではなく、続日本紀で論文を書かれておられたのですか。歴史にも詳しいわけですね。
、私は、緑埜屯倉の御神火のあたりとか、読みました。まつろわぬ人々が勢いを増していく時代であることが伺われ、いつかしっかり読みたいです。うちの近くから、紡錘車がかなり出てます。調かな、納めた木簡も出てます。物部氏です。
投稿: しーちゃん | 2014年9月 5日 (金) 19時39分
しーちゃんさん
文字文献は貴重ですけど、壁画などの絵画も貴重ですね。文章だけでは伝わらないことが、絵では一目瞭然ということがありますものね。
私は子どもの頃から日本史が好きでした。大学受験の時も史学科を第1志望にしたのですが、点数が足りなくて第2志望の国文科に入学することになりました。2年生になる時に転科試験を受けることもできましたが、居心地が良かったので、転科試験は受けず、そのまま国文科に居着いてしまいました。上代だと、史学でも国文でも、使う文献はほとんど同じですしね。
平城宮木簡に「上野国緑野郡小野郷戸主物部鳥麻呂戸中男作物鹿*(*はニクヅキに昔)」というのがありますね。
高松塚古墳の壁画やキトラ古墳の壁画にも興味はありますけど、やはり字の書いてある史料が好きです。(^_^)
投稿: 玉村の源さん | 2014年9月 5日 (金) 20時21分