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2014年5月 9日 (金)

剥身のナゾ

 6日(火)にアップした「大正時代の料理本」に、朝倉山のオニさんからご質問を頂きました。あそこに出てきた「剥身のライスカレー」の具は何の剥き身かというお尋ねです。

 その時は、手もとにあの本がなくお答えできませんでした。遅くなりましたが、ようやくお答えできるようになりました。♪

 お答えは、「わかりません」。(^_^; 見たんですけど、書いてなかったんです。本文は以下の通りです。
Mukimi
 『日国』の「むき‐み 【剥身】」の項の(1)には次のようにあります。

>蛤(はまぐり)や浅蜊(あさり)など貝類の殻をとった中の肉。また、ゆで卵の、殻をむいたものにもいう。
>*咄本・千里の翅〔1773〕ばかのむきみ「ばかのむきみをうりにくるを」
>*滑稽本・浮世風呂〔1809~13〕三・下「田作(ごまめ)が這入と臭くてならねへから奢ってさるぼうのむきみを入やした」
>*三四郎〔1908〕〈夏目漱石〉六「馬鹿貝の剥身(ムキミ)の干したのをつけ焼にしたのである」
>*抱擁〔1973〕〈瀬戸内晴美〉四「卵のむきみのような陶器の照りを持ち」

 これによれば、「剥身」は貝について言うようですね。私はエビやカニもOKかと思っていましたが……。

 ここに挙がっている以外に、次のような例を見つけました。

・三人は下駄穿のまま差向いに腰を掛けて、有合の肴で盃の遣取をした。剥身のヌタ位がそこでは甘い物の部である。(島崎藤村『春』)
・しかもその右の眼は、まるで牡蠣の剥身のように白く潰れているではないか!(林不忘『丹下左膳』)
・女は、卵のむきみのようにまるいスベスベした顔つきで、目が凹み、鼻が低く、(石坂洋次郎『石中先生行状記』)
・馳走といっても、浅蜊の剥身と葱・豆腐を、さっとうす味に煮こんだもので、(池波正太郎『剣客商売』「剣の誓約」)

 これらを見ても、やはり「剥身」は貝類及びゆで卵についていうようですね。

 さてそこで、『三百六十五日 毎日のお総菜』ですが、何の剥身か書いていないということは、蛤でも浅蜊でも、貝であれば何でも良いということなのか、あるいは、この大正時代、「剥身」といえばもうそれだけで何か特定の貝を指していたのか?

 上に挙げた例の中では、藤村の『春』の例だけ「剥身のヌタ」とだけあって、何の剥身か書いてありません。この作品は明治41年の作ということで、大正の少し前ですね。

 どうなんでしょう?

 料理本の文章、やはりちょっと古めかしいですね。(^_^) また、「流し込むのです。」「食べるのです。」というのには違和感を覚えますが、これはこの人の書き癖なのでしょうかね。


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コメント

剥き身のナゾは解けなくて残念ですが、本文は興味深いです!

1行目の「のち」、最後の行の「たらば」は今はあまりない使い方ですね。
「のち」は天気予報には残っていますが。
「のです」は、現在の用法では事情説明(電車が遅れたんです)や強調が多いと
思いますが、それとは少し違う用法ですね。
段落や文章の終わりにあるので、文章の帰結の働きでは?

この本のレシピを再現したというブログをみつけました。
"キャベジのサラド"、"馬鈴薯と人参のサラド"、
"挽肉と葱の清汁"などを試されたようです。
Googleに入れると「もしかして」などと勝手にキーワードを
現代風に変えたがりますが、頑としてキャベジのサラドで探してみてください。

源さんの後輩さん

 コメントをありがとうございます。

 文章、なかなか興味深いですよね。小説や新聞記事とはまた違ったジャンルの資料になりましょうかね。

 「のです」は、もしかしたら「のである」をですます調に変えた表現でしょうかね。恩師O先生が、「のである」を多用してはいけないと言われたことを思い出しました。

 「キャベジのサラド」見つけました。(^_^)

 この方のは増補版ですね。たくさん売れて、増補版まで出版されたのですね。当時の大ベストセラーなのでしょうね。大量に発行されたのなら、まだ結構残っているかもしれませんね。

 お忙しい中、いろいろと調べてくださりありがとうございました。

 日本風のカレーが広まったのには海軍が関わっているという話を聞いたことがあります。
 本当にそうならば、貝の剥き身など魚介類のカレーが早くからあったとしてもおかしくはないかも知れませんね。

 肉類を水で洗うということは考えにくいのでやはり貝の類いでしょう。

 「キャベジのサラド」、私も見てみました。
 シンプルだけれどおいしい、というコメントに心引かれます。

 「~してのちに」という言い回し、昔の料理番組で耳にしたことがわりとあるような気がするのですが……。証拠がないので曖昧です。

朝倉山のオニさん

 コメントをありがとうございます。

 先ほどは、他の文献から「剥身」の用例を探してみましたが、ふと思い立って、灯台もと暗し、この料理本から用例を探してみました。見落としがあるかもしれませんが、以下の例が見つかりました。

【何の剥身か示さないもの】

「小松菜と剥身の煮浸」
 小松菜を細かに刻み、剥身と一緒に鍋に入れ、醤油と砂糖とで味をつけます。

「小松菜と剥身の辛子和」
 小松菜を茹で、堅く搾つて細かに刻み、剥身も茹でゝ置きます。辛子を掻いて灰汁を抜いたものを擂鉢でよく擂り、少量の味噌と醤油とを加へ、前の小松菜と剥身とを混ぜこむのです。
 西洋辛子ならば其儘水で溶けばよいのです。

【「貝の剥身」とするもの】

「馬鹿貝と焼豆腐の煮付」
 馬鹿貝の腸をとつて一寸洗ひ、醤油と砂糖とで煮ると、馬鹿貝から汁が出てよい加減な味になります。焼豆腐は適宜に切り、一旦茹でゝから貝の煮汁で煮るのです。
 馬鹿貝のない地方では外の貝の剥身を同じやうに煮ると美味く食べられます。

「五目吸物」
 焼竹輪を小さく切り、椎茸を水に浸して細かに刻み、青昆布を洗ひ細く切つて小さく結びます。普通の煮出汁に是等の材料を入れ、白滝を加へて一旦煮立てます。下し際に芹を入れるのです。
 焼竹輪の代りに貝の剥身又は魚の摘入などを用ゐるのも結構です。

【具体的な名称を示すもの】

「蛤鍋」
 蛤の剥身を洗つて鍋に入れ、味噌を加へて煮ると、蛤から水が出て丁度よい加減の汁が出来ますから、適宜に砂糖を加へて熱いところを食べるのです。
 煮過ぎると硬くなつて味が悪くなりますから、食べながら段々に入れ足して煮る方がよいのです。馬鹿貝の剥身も同じやうに鍋にすることが出来ます。

「時雨蛤」
 蛤の剥身を水で洗ひ、笊に揚げて水を切つて置きます。(以下略)

 ということで、何の剥身か示しているものは全部貝でした。

 何の剥身か示さないものも貝なのでしょう。しかし、貝といっても色々あります。単に「剥身」としているものは、何の貝でも構わないということなのか、それとも、単に「剥身」といえば、もうそれで何の貝か当時は自明であったのか。

 ナゾは残ったままです。(^_^;

 あいかわらず、「のです」を多用していますね。(^_^)

 シンプルだけどおいしい、というのはいいですよね。

 「してのちに」を料理番組で耳にされたようですか。ひょっとすると、その料理番組の講師の方、この本の著者のお弟子さんか孫弟子さんだったりして。(^_^)

みなさま
剥き身の用例をありがとうございます。また、「してのち」の料理番組での用例、ご教示ありがとうございます。興味深いです。

「〜のない地方では」「(代わりに)〜でも(出来ます)」という表現を見て、子供の頃、魚屋さんが「今日は○○はある」「今日は○○はない」と言っていたのを思い出しました。(源さんの子供の頃よりはあとですが) 今はスーパーに何時でもなんでも並んでいますが、そうなったのは近年のような。(価格が下がると旬だと気づく、という鈍感な状態です)

貝の旬は春なので(それすらも忘れてました)、何の剥き身か指定のないものは「その時、入手できる貝」という意味ではないでしょうか?

源さんの後輩さん

 昔は御用聞きっていうのがありましたねぇ。やがて八百屋さんや魚屋さんは車に乗せて売りに来るようになりましたが、肉屋さん、酒屋さん、米屋さんなどは結構後まであったように思います。

 お米やキリンレモン1ダースなど、配達して貰わないと、重くて持って帰れませんしね。

 指定のない「剥身」は「その時、入手できる貝」説には、そうかもしれないなぁという気もしますが、単に「剥身」といえば当時はアサリの剥身を指していた、なんて可能性もあるように思います。

 さて?

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