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2014年5月17日 (土)

早稲田で日本語学会

 今日は、早稲田大学で開催された日本語学会に行ってきました。学会設立70周年に当たるそうです。ということは、設立は戦時中ですね。橋本進吉博士が初代会長(当時の学会名称は「国語学会」)ということですので、わが恩師は設立の頃からの会員だったことと思います。そんなことも、出席しようと思った動機の1つでした。

 開会式、70周年記念式典に続き、70周年記念シンポジウムが開催されました。テーマは「“学術日本語”の歴史と未来―大学教育国際化時代を迎えて―」で、趣旨は以下の通りです。

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 日本語は,長い漢文訓読の歴史を通じて,高度な学問を語り得る文章語を構築し,幕末・明治期の西洋の学問の移入と幾多の文体改良の試みを経て,学術言語としての日本語を完成させた。高等教育を自国語で完遂できる数少ない近代国家の一つとも言われながら,英語がスタンダード化したグローバル時代の今日,日本語は情報の共有と発信において後れをとり,経済産業界に続いて,大学をはじめとする教育研究の世界で急速な英語化・日本語ばなれが進行しつつある。

 学術言語はあらゆる知的活動を統御するオペレーションシステム(OS)のようなものであり,大学がそれを英語にシフトしたとき,言語としての日本語,あるいは,知識が社会の発展を促す「知識基盤社会」を標榜する日本社会にどのような影響を及ぼすことになるだろうか。

 ややもすれば感情的な議論が先行しがちなこの喫緊の課題について,日本語学は何を発信できるか,あるいは発信すべきであろうか。言語研究の観点から冷静に検討し,科学的な議論の土台を提供したい。
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 明治の初めの頃は、お雇い外国人達が英語やドイツ語で授業をしていたので、学生はまず外国語を習得しなければ学問ができなかったことでしょうが、やがて日本人の教師が育ってきたことと、学術用語が日本語に訳されたことで、日本語で学問をすることが可能になりました。

 日本語だけで教育や研究ができるということは、とても幸せなことだったと思います。

 ところが、今、グローバル化によって状況は変わりつつあります。こういう状況とどう向き合うか。誠にタイムリーなテーマ設定と思います。でも、結論は容易に出ることではありませんね。シンポジウムでも、前掲要旨の末尾にあるように、「科学的な議論の土台」の提供に留まったように思います。でも、大いに勉強になり、考えさせられたシンポジウムでした。

 着いたのが少し遅くて、記念式典の最中でした。会場は結構人がいっぱいで、後ろの方には空席がなく、10人以上の人が立っていました。大盛況です。
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 式典が終わって、シンポジウムが始まる前に空席を探して移動しました。結局、最前列になってしまいました。(^_^;
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 休憩時間に山口佳紀先生と20分くらいお話しができたのが嬉しかったです。(^_^) 学生・院生の頃、非常勤講師として来てくださっていた山口先生にはそれ以来お世話になっています。先生は私よりも11歳年上なのですが、全くそんな風には見えません。お若いです。式典での来賓挨拶も昔通りの張りのあるお声でした。
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 早稲田大学は駅から遠いんですよね。ただ、都電の早稲田駅だけは近くて、会場から100mもありませんので、帰りはこの駅から都電に乗って、山手線の大塚駅に出ました。

 あ、「早稲田駅」と書きましたが、駅じゃないんですよね。大きな屋根は架かっていますけど、停留所です。
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 都電も、車両は随分近代的になりましたし、料金もSuicaで、ピ! です。便利になりました。
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 というか、私、もしかしたら都電に乗ったのは初めてかもしれません。

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コメント

>日本語だけで教育や研究ができる・・・

本当にありがたいことですよね。
明治初期の頃の先達たちの労苦が・・・いやさらに思いをはせれば、遠く上古に時代大陸からの圧倒的な文物を
日本語として理解できるようにこなしてくれてきたこの国の在り様すべてに感謝しなければならないところなのですが・・・

奈良の隣の、どこかの首長のお友達の教育長は、その府の高校入試から日本語を締め出そうとしています・・・。

三友亭主人さん

 コメントをありがとうございます。

 日本語だけで教育や研究ができるって、本当にすばらしいことだと思います。

 おっしゃるように、近代日本のみならず、大昔からそうしてきたのですよね。外国語である漢文に返り点や送り仮名を付けて、日本語文として訓んでしまおうというのは、なんとも柔軟な発想ですね。

 近年、日本語で学問ができてしまう反作用として、英語力が向上しないと言われても、両者を天秤に掛けたら、どっちが良いか、一概には言えないと思います。

 昨日のシンポジウムでの発言の中で、医学を外国語で教えている国でも、医師が患者と接するときには、患者が分かる言葉で話さなければいけない、というのが印象に残っています。

 生駒山の向こうでは、高校入試から日本語が締め出されてしまうのですか? それは何とも……。

英語を教えている先生がおっしゃっていました。
「日本語を完璧にできない学生に英語の学習はできません。」
考える脳内が英語ではないわけですし、翻訳した日本語がめちゃくちゃでは意味がありません、というのがその先生の持論だそうです。
「母国語」を締め出して、国民のアイデンティティーは育つのでしょうか。
「国際化=国民総根なし草化」では困りますね。

晴南さん

 コメントをありがとうございます。

 そうですね。アイデンティティーですよね。

 いろいろな異なった文化がうまく共存してこその真の国際化と思います。

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