« 残雪 | トップページ | 上州・大古本まつり »

2014年2月27日 (木)

牽牛子塚古墳の整備計画

 2月26日付のアサヒコム奈良によれば、斉明天皇陵であることが有力視されている牽牛子塚古墳の整備のあり方を考える明日香村の検討委員会が開かれ、目に見える形で八角形と分かるように表現するなどの基本構想案がまとまったということです。

 具体的な計画は4月以降に立てられる方針だそうですが、基本構想案として、

 ・八角形墳を体感できるように表現する。
 ・巨岩をくりぬいて作られた2人用の石室も見学可能とする。
 ・すぐ近くで見つかった越塚御門古墳の石室も見学可能とする。

などが決まったそうです。

 整備完成はまだ先でしょうが、楽しみです。

 牽牛子塚古墳が斉明天皇陵であれば、日本書紀の天智天皇6年(667)2月27日条の「天豊財重日足姫天皇(斉明)と間人皇女とを小市岡上陵に合せ葬せり。是の日に、皇孫大田皇女を、陵の前の墓に葬す。」という記事と対応しますね。

 2人用の石室は斉明天皇と間人皇女のためのもの、すぐ近くで見つかった越塚御門古墳の被葬者は、大伯・大津の母である大田皇女ということになりましょう。

 史跡であるばかりでなく、万葉故地でもありますね。

 あ、さっき引用した日本書紀の日付、2月27日って、今日ですね。(^_^)

 宮内庁は天皇陵や陵墓参考地の発掘は認めていないわけですが、それらの比定地ってそう確実なわけでもないですよね。でも、見直しは頑なにしない。

 でも逆に、斉明天皇陵である可能性がかなり高そうな牽牛子塚古墳は天皇陵とみなされていなかったために、発掘調査や整備が行われる。皮肉なことです。ま、ラッキーと言えましょう。(^_^)

 下は、平成17年の9月に撮影した牽牛子塚古墳。夏草が生い茂って、暑そうです。
Kengoshi_h170918
 下は、平成23年の3月に撮影した同古墳。あたりの草は刈られ、発掘途中でした。
Kengoshi_h230317a
 その折に撮影した石室内部。巨大な石の壁で左右の石室が隔てられています。
Kengoshi_h230317b

« 残雪 | トップページ | 上州・大古本まつり »

飛鳥・奈良」カテゴリの記事

史跡めぐり」カテゴリの記事

万葉集」カテゴリの記事

コメント

いつ見ても、この石室はすごいですよね。
見学しやすくなるのは、ありがたいことだと思います。
宮内庁の方も、もう少し融通を利かせたらいいのに・・・と思うのですがね。
誰とも分からないようなお墓を、ご先祖様だと思って大切にするよりは、きちっと調べて正確に比定した方が、礼にかなっていると思うのですが・・・・

三友亭主人さん

 本当にすごい石室ですよね。大きな岩をくり抜いて作ったんですよね。そう強力な道具もなかったでしょうに、人力での作業、見事ですね。

 宮内庁に対するお考えも全く賛成です。

 真実を明らかにして、それに基づいて処置することが大切ですよね。

 でも、オトナの世界は、あれこれあって、なかなかそういうわけにはゆかないのでしょうね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 牽牛子塚古墳の整備計画:

« 残雪 | トップページ | 上州・大古本まつり »

2025年6月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

ウェブページ