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2014年1月20日 (月)

群馬のことばと文化12

 今日は、県民公開授業「群馬のことばと文化」の第12回目がありました。

 講師は、群馬県立女子大学国文学科准教授の市川祥子先生で、テーマは「四代目澤村田之助の墓について」でした。
Ichikawa01
 伊勢崎市境町には明治時代の歌舞伎役者四代目澤村田之助の墓があります。地元に伝わる話では、沢村田之助がこの地に巡業に来ていたときに、急病になってこの地で亡くなり、遺体を埋葬した墓ということです。どの家で亡くなったかについても伝えられています。明治32年4月に亡くなったこと、墓は明治34年に建てられたことが墓石に刻まれています。
Ichikawa02
 ところが、当時の朝日新聞の記事では、沢村田之助は脳溢血のため埼玉県児玉郡の丹荘で亡くなったと書かれています。

 両者は矛盾しており、さて真相は如何に。ということになります。そういうミステリーめいたお話しでした。このナゾはまだ解けていないようですが、今日のお話のテーマはそこではなく、伝承の生まれる経緯、といったことがメインでした。

 興味深い内容でした。

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コメント

四代目は早世なさって、当代との血縁はなかったのでしたっけ…
当代も最近は舞台でお見かけしませんが、先日の国立の研修会では目撃情報ありました。
杖を使っていらしたが、お元気のようです。

しいらさん

はい。四代目は、病気で手足を切断しながら、なお舞台に上がり続けたという三代目の養子だそうですが、現在の田之助さん(六代目)は、その三代目の兄の子孫のようですね。

大分ご高齢のようですけど、お元気なら何よりです。

市川さんだ!全然お変わりないですよね。
写真(とくに二枚目)を見ていると、声まで聞こえてきそうです。

澤村田之助さん。
「当代」なら何度も舞台を拝見しましたが、三代目や四代目のことは全く分かりません。
口伝と墓石によると「伊勢崎市」で、新聞記事では「埼玉県」ですか。
その真相よりも、話の矛盾と「伝承の生まれる経緯」というのが、とても興味深いですね。

当代の田之助さんは、今月は国立劇場にご出演のようですね。
でも私自身は、田之助さんの舞台を、しばらく拝見しておりません。
お元気でしょうか?

この方、確か「相撲好き」な人で、横綱審議委員をされてますよね。
話が飛びますが、今月13日に両国国技館へ相撲観戦へ行ったら、
放送室にデーモン閣下の姿が見えて、ビックリでしたよ!
どんな解説をしていたのかしら…。

のりすけさん

 市川さん、ほんと変わりません。(^_^)

 四代目田之助さんの終焉にまつわるナゾ、どうなのでしょうね。明治は遠く……ですね。

 私が子供の頃、さすがに慶応生まれの人には会ったことがありませんでしたが、両親の世代は大正生まれ、祖父母は明治生まれでした。50代後半以上の人はみんな明治生まれ。(^_^)

 いつの間にやら時が流れました。真相解明は難しそうですね。

 お墓の写真を見ると、あまりお墓っぽくない感じでした。「澤村田之助之墓」と彫ってはあるのですが、形がどうも。講義を聴いていらした群馬学センターの副所長さんは、顕彰碑のようなものではないかとおしゃっていました。

 亡くなった2年後に建てられたものですので、三回忌の追善供養碑のようなものかとも思えます。

 今の田之助さん、人間国宝でしたっけ? 横綱審議会の委員ですね。お相撲、お好きなのでしょうね。

 デーモン閣下もお相撲大好きですよね。好きなだけじゃなくて、テレビで解説ができるって、すごいですよね。

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