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2013年12月15日 (日)

橋本達雄先生ご逝去

 橋本達雄先生が亡くなられたことを、つい先ほど、Web版の東京新聞(12月10日付)で知りました。

 記事によれば、「10日、呼吸不全のため死去、83歳。新潟県出身。通夜は13日午後6時から、葬儀・告別式は14日午後0時半から朝霞市溝沼1259の1、朝霞市斎場で」とのことです。

 気付くのが遅かったです。もう、ご葬儀終わってしまいました。

 橋本先生は私が院生の時に非常勤講師として来てくださっていて、何年かお授業を受講しました。演習で9番歌を発表した憶えがあります。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 下の写真は平成12年の4月に撮ったものです。今から13年半前。橋本先生の退職記念の会だったと思います。両脇は伊藤博先生と青木生子先生です。お三方、仲が良かったようです。
Hashimoto3nin
 この時にお目に掛かったのが最後になりました。

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コメント

当然のことながら、その著作でしか橋本達雄先生のことは存じ上げないのですが・・・

中でも、伊藤先生と共編になる「万葉集物語」は、ちょうど万葉集を学び始め、右も左もわからずにいた私にとって、その概略をうかがい知るにまことにありがたい一冊でした。

この「万葉集物語」は、今もなお大事に私の書棚の目につくところに、同じく万葉集の学び始めの頃、先輩に万葉集を訓むということはこんな作業なんだよと紹介していただいた澤瀉先生の「万葉古径」と並べて置いてあります。

三友亭主人さん

 コメントをありがとうございます。

 著作物は貴重ですね。地域を越え、時も超えて、著者の教えを伝えることができますものね。

 ご当人が亡くなっていても、ご本を通して教えを受けることができるというのはありがたいことと思います。

 橋本先生は、お若い頃、動物園のライオンにマタタビを与えてみたことがあったそうです。そんなお茶目な面もあった先生でした。

私は今74歳です。中学時代橋本達雄先生に国語を教わりました。大変優しい先生で我々を大切に扱っていただきました。エピソードを2つ。
一つは授業中 私は新潟生まれで私は喋り方が鼻に掛かった様に発音します。少し気になるかもしれませんが。という話がありました。凄く謙虚な先生だと思いました。
もう一つは万葉集の話があり、石麿が我物申すの説明がありました。授業後にお茶目な同級生が和歌を先生に送りました。
達麿にこれは橋本達雄先生のこと 我物申す 何某。詳細は忘れましたが 先生は我々がプレゼントした短歌を詠み 短歌とはこうして作るのですよ、と褒めてくれました。
ありがとうございました😊

矢澤 裕さん

 コメントをありがとうございます。

 そうでしたか。
 橋本先生は中学校の先生をしていらした時代がおありなのですね。
 穏やかなとても良い先生ですよね。
 すてきなエピソードをご紹介くださり、ありがとうございます。
 さもありなんと、よく納得できます。

 私が伺った先生のエピソードとしては、動物園のライオンにマタタビを与えてみた話とか、お若くして結婚されたので、おむつの干してある部屋で研究に勤しんだとか、そんな話が思い出されます。

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