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2013年11月 7日 (木)

奈良の喜光寺に行基堂建設

 行基が開き、そこで亡くなったとされる喜光寺に行基堂が建立されることになり、上棟式が行われたという記事が今日のアサヒコム奈良に載っていました。来春に完成予定で、完成の暁には同寺の本堂に仮安置されている行基菩薩像を移すそうです。

 喜光寺には2年前の3月16日に1度だけ行ったことがあります。……と、さりげなく書いてしまいましたが、東日本大震災が起こった5日後です。

 薬師寺の東塔を解体修理することになり、それに先だって、東塔の内部を拝観できるというので、それがメインの旅行でした。

 未曽有の大災害が起き、原発も大変な状態です。どうしたものかと思いましたが、行くことにしました。年末に父を亡くしていたこともあり、旅行中ずっと心が重かったです。

 西ノ京駅で降りて薬師寺に行き、それから、垂仁天皇陵、菅原天満宮、喜光寺、平城宮跡、氷室神社と、全行程徒歩で移動しました。なんか歩きたかったのです。

 下は喜光寺の写真です。
Kikoji01
 これは行基菩薩像。お寺には大変珍しく、写真撮影OKでした。
Kikoji02
 氷室神社の後、もう少し先まで歩いて鹿と触れあいました。鹿は良いです。心が癒されます。下はその時に会った鹿です。
Shika20110316
 翌日は、橿原神宮前駅から南へ延びる近鉄線の西側の古墳巡りをしました。廻ったのは、岩屋山古墳、牽牛子塚古墳、鑵子塚古墳、マルコ山古墳、束明神古墳、岡宮天皇(草壁皇子)陵です。

 奈良・飛鳥に行けば、必ずまほろばに書き込むのですが、震災直後のこの時は、どう書いて良いか分からぬまま、見送ってしまいました。2年半以上を経ての書き込みとなりました。

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飛鳥・奈良」カテゴリの記事

コメント

しかしまあ、大変な距離を歩いたものですね。
丸一日を覚悟すればそりゃあ歩けるでしょうが、ふつうこんなコースは考えませんものね・・・

平城宮跡のあとは、西大寺まで戻って近鉄ってのが普通でしょうか?

そう言えば菅原の天満宮・・・なつかしいなあ。何回も落ち続けた教員採用試験、天神様の御力にすがったその年(もちろん菅原天満宮)、見事合格しました。
そんな思い出のあるお社です。

三友亭主人さん

 歩くにはなかなか大変な距離でした。(^_^;

 なんか言いようもなく心が重く、また、不安で、そんな思いを抱いたまま歩いてしまいました。普段ならば自転車ですね。

 2日目の古墳巡りは自転車でした。でも、岡のようなところでしたので、自転車を押して歩いたところもあり、自転車を置いたまま歩いたところも多かったです。

 菅原天満宮は思い出の神社なのですね。霊験あらたかで良かったです。(^_^)

 この旅行の頃、東京や群馬では物不足が始まっていて、橿原神宮前駅構内のコンビニで、パンを少しとトイレットペーパーの4個入りのパックとを買って帰りました。そういう奈良土産も初めてでした。(^_^;

「旅行中ずっと心が重かったです」

    ↑ 
旅行といえば”楽しい”と連想しますが、その時の旅はつらい思い出でもあったのですね。

こちらは、震災の翌日が次男の幼稚園卒園式でした。卒園委員長をやっていたこともあり、これも忘れ難い「重い」思い出です。
ここ鎌倉には、仕事で都内まで通っている方も多く、卒園児のパパさんたちも「電車ストップ」の為その日に帰宅できず、なんとか卒園式に出るために徹夜で歩いて鎌倉まで帰ってきたという方が何人もいらっしゃいました。

長男の小学校は遠方から電車で通ってきている子が多く、地震の日は帰宅できずに学校に宿泊となった生徒も・・・。

震災後はしばらく、物も電気も不足していましたね。
まだ寒い時期、連日の計画停電で、お年寄りの方々はとくに大変だったことと思います。
ご年配の方には、「暗さ」と「寒さ」は、こたえますものね。

うちでも、震災の前年に、一緒に暮らしていた義母を亡くしていました。
80歳を越していた義母にとっては、あの恐ろしい震災を経験しなくてよかったのではないかなと、そんな風にも思えます。


玉村の源さん、
お父様を亡くされたあとに続いた震災で、心の重い日々を送っていらしたのですね。
「身内を亡くす」のは、本当につらいことですよね。
それでも、お父様が「震災により大変な思いをしなくてすんだ」と考えたなら、
ちょっとでも、玉村の源さんの心が、軽くなるでしょうか?


鹿さんの横顔にも、癒されますね!

のりすけさん

 お心遣い、ありがとうございます。

 もう大丈夫です。

 地震の時は高崎にいました。電車は全て止まってしまって、復旧の見通しも立ちません。タクシーも出払ってしまっていましたが、やっとつかまえることができて、タクシーで渋川まで帰りました。まことに贅沢な帰宅難民です。(^_^;

 翌日は後期日程入試でした。それで、翌日の試験監督に備えるためにも、何としても早く帰りたかったのです。

 ところが、翌日も電車は動かず、バスとタクシーを乗り継いで出勤しました。

 受験生の中にも大学まで来られなかった人もいました。その一方で、青森の受験生で、早めにこちらに来ていた受験生もいました。その受験生は試験のあと、いつ、どうやって青森に帰れたのだろうかと、それが心配でした。

 あの日は、被災地は勿論のこと、東日本各地で、様々なことがあったことでしょう。それだけ大規模な地震でしたね。

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