白滝姫
10月25日付「桐生織展」に頂いたのりすけさんからのコメントへのレスで、八王子の織物に関する神社のことを書きました。その写真が見つかりましたので、アップします。
神社の名前は機守(はたがみ)神社です。
側に解説板があります。
字が小さいので、以下に解説をそのままアップします。
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機守(はたがみ)神社の由来
天平の時代、孝謙天皇にお仕えした白滝姫は類い稀な美しい女性でありましたが、姫を垣間見た上野国の役人山田舎人は、それ以来姫を恋い焦れ、慕情を歌にしておくりました。
やがてこの事を天皇がおきゝになり、その心をあわれとされて姫を山田の妻におゆるしになりました。
姫は上野国に養蚕や機織の道を興されました。姫の歿後人々は姫を養蚕機織の神白滝観音として祭りました。
文政のころ、八王子宿に信仰心の篤い与平という老人がいました。或る夜、夢の中で白滝姫におあいし機織の秘法を授かりました。翌朝目覚めた与平は大変よろこんで、白滝姫のお姿を模写し、大善寺のかたわらに小祠を建て機守神社として、朝夕崇拝したと云います。
以来、八王子織物の業に携わる人々から厚い信仰を受けておりました。その後三回の祠の修復が行なわれ、昭和五十七年十二月この地に遷座されました。
昭和五十七年七月七日
宗教法人 大善寺
八王子織物工業組合
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前半は奈良時代の白滝姫の話、後半は江戸時代後期のこの神社の由来の話です。
前半の白滝姫についてググってみますと、結構いろいろと出てきました。
桐生にもこの姫の伝説があるようです。そこでは、桓武天皇の時代、上野国山田郡とあります。
他地域にも同様の伝説が伝わっているようです。「山田」というのが、地名または氏の名として共通しています。
中には、この姫は藤原豊成の娘で、かの当麻寺の中将姫の妹とする伝承もあるようです。
なんか、奥が深そう。
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その名もズバリ、「機守神社」ですか!
鳥居の両サイドは、どなたの石像なのでしょうね?
現在は「大善寺」というお寺さんの敷地内に神社が祀られているのでしょうか。
「上野国山田舎人」。
「上野国山田郡」。
・・・個人的には、「上野国」にも「山田」にも親しみ感じるところでございます(笑)
投稿: のりすけ | 2013年10月27日 (日) 13時08分
のりすけさん
はい。どんぴしゃり「機守神社」です。(^_^)
鳥居の内側の石造の位置は、普通ならば狛犬さんの場所ですので、そういう役割でしょうかね。あるいは、大きな神社には随神門(お寺の仁王門に相当するものでしょう)があって、そこに随神が鎮座していたりしますので、それに相当するものと思います。
神社の場所は大善寺の敷地内と思います。
「山田」がキーワードのようです。(^_^)
投稿: 玉村の源さん | 2013年10月27日 (日) 18時39分