本に対する関心が低い
つい数日前まで、学生さんの学期末のレポートを読んでいました。
末尾に参考文献を列挙しているのは良いのですが、その中に
『萬葉集』坂倉良一 おうふう 昭和四十七年四月
というのがありました。
坂倉さんは発行者ですね。正しくは、鶴久・森山隆編とあるべきところです。
こういうの、毎回1件くらいはあります。出版社の社長の名前を書いたり、発行所名を書くべきところに印刷所の名前を書いたり。
坂倉さんが登場したのは初めてでした。「おっ! 出た」という感じです。
そそっかしいというより、本に対する関心が薄いのだと思います。この『萬葉集』など、背表紙に「萬葉集 鶴久 森山隆編 おうふう」と書いてあるのですし、この本を毎週授業の度に持ってきているのですから、編者名を間違える方が不思議です。
こんなことをブログに書いて、うちの学生の恥を満天下にさらしていますが、ブログのネタのためなら仁義もなにもありません。(^_^;
ただ、こういう間違いはうちの学生だけじゃなさそうです。某雑誌の編集委員をしていますが、その応募論文にも某辞書の出版社を「精興社」としているのがありました。精興社は印刷所ですね。執筆者は都内某有名大学の博士課程の院生でした。
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源さん
御腹立ちはもっともです。
編集以前の問題でもご面倒をおかけいたします。
そのような院生も、数年で学位を取る世の中になったのです。
そのための投稿ですし、それがなかったら学会誌はいまや成り立ちませんので。
投稿: 晴南 | 2013年9月 2日 (月) 08時07分
晴南さん
コメントをありがとうございます。
国文学科自体が減っている昨今ですしね。
ただ、私が関係している学会誌は2誌とも、掲載に当たってはハードルはかなり高いように思います。
「この論文、大いに不満だけど、でも、これを採用しないと、雑誌、出せないしね。良いことにしますか」などということはただの1度もなかったのは幸いです。そうなってしまうともうどうしようもありませんよね。
投稿: 玉村の源さん | 2013年9月 2日 (月) 14時06分
いやあ、耳の痛い話ですなあ。同じような間違いを過去に・・・いや、今だって仕出かしていないか・・・気になるところです。
「おうふう」・・・私たちが学生だったころは桜楓社と言ってましたっけ。ここの万葉集も使っていた頃があります。
大学に入ったばかりの頃は授業で指定された新校万葉集を使ってましたが、そのうち研究会の先輩の使っていた桜楓社本にあこがれて・・・簡単な異同が記されているのが何とも便利そうに思えて・・・今もあれこれ書き込みのあるこの本は手元にあります。
でも、最終的に手にしたのが、塙本で・・・桜楓社本にした書き込みを、まっさらな塙本に書き写す作業に結構時間がかかったのを覚えています。
もっとも師匠に言わせれば、本に書き込みなんてとんでもないことで、それならば全ての万葉歌のカードを作り、そこに書きこめということでしたが・・・実行していた学生はどれほどいたことやら・・・
投稿: 三友亭主人 | 2013年9月 2日 (月) 21時06分
三友亭主人さん
桜楓社本の書き込みを塙本に写されたのですか。それは大変なお手間だったことでしょう。
書き込みは大きな財産ですね。
江戸期の写本などでも、書き込みのある版本などは珍しくないでしょうに、お師匠様はなかなか厳格な姿勢ですね。活字本では書き込みをするための余白が少なすぎるだろう、というお気持ちもあったのかもしれませんね。
投稿: 玉村の源さん | 2013年9月 2日 (月) 21時21分