2024年7月16日 (火)

浜木綿の子が開花

 浜木綿の子に待望の花が咲きました。
 平成29年(2017)に親の浜木綿に実が成って種が取れました。
Hamayu20171004

 平成30年(2018)に発芽しました。
Hamayu20180625

 それを鉢植えにして令和元年(2019)9月11日の状態です。
Hamayu20190911

 段々大きくなってきたので、令和3年(2021)に大きな鉢に植え替えました。
Hamayu20210926

 そして、今年の7月3日、群馬の家から帰ってきたら、花芽が付いているのに気づきました。
 これは7月5日の写真です。
Hamayu20240705

 少しずつ花が開いてゆきました。これは7月12日です。
Hamayu20240712

 そして今日です。
Hamayu20240716
 少しずつ花が咲くので、初めの方に咲いた花は萎れかけています。

 手塩に掛けて育ててきた浜木綿に花が咲いて感無量なものがあります。

2024年7月15日 (月)

壬申の乱の経緯(16)倭方面最後の戦闘

 日本書紀には、今日7月15日の記事はありません。
 淡海方面では13日に大海人軍が安河で大勝しています。
 倭方面では日付不明ながら大海人軍が河内方面からの淡海軍を撃退し、飛鳥京の本営に戻ってきています。

 その後、飛鳥古京には東国からの軍勢が多数到着したので、大伴吹負は兵を3つに分けて、上ツ道、中ツ道、下ツ道に配します。
Jinshinchizu21

 上ツ道では、三輪高市麻呂と置始兎が箸陵の戦いで淡海軍に大勝します。
 中ツ道では、村屋に陣を置いた淡海軍の犬養五十君が廬井鯨に精兵二百を与えて大伴吹負の陣営を衝かせます。
 吹負麾下の兵は少なく苦戦しますが、そこに、箸墓から救援に駆け付けた三輪高市麻呂らの部隊が廬井鯨の背後を衝き、勝利をおさめることができました。
 下ツ道については記述がありません。

 大伴吹負は飛鳥京の本営に戻って軍を編成し直しますが、この先、淡海軍はもう攻めてきませんでした。
 淡海方面で敗戦が続いているので、そちらに兵を集中させようとしたのかもしれません。
 逃亡した兵もいたことでしょう。

2024年7月14日 (日)

蓬左文庫のパンフレット

 蓬左文庫の少し古いパンフレットをネットオークションで入手しました。
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 興味を持ったからといって、こういうものまで買っていてはキリがありません。(^_^)

 蔵書のあらまし。
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 蔵書のうちの重要文化財。
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 現存最古の河内本源氏物語や、現存最古の続日本紀がありますね。
 続日本紀は、多数伝わっている卜部本系統の諸本と異なる別系統の写本である点でも貴重です。

 いくつかのカラー写真。
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 蓬左文庫の略史。
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 蓬左文庫の利用案内等。
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 このパンフレットがいつのものか分かりませんが、下部に記載されている蓬左文庫の所在地の郵便番号が3ケタですので、昭和43年(1968)~平成10年(1998)の期間のものです。

2024年7月13日 (土)

壬申の乱の経緯(15)村国男依、安河のほとりで淡海軍に大勝

 7月13日、大海人皇子方の村国男依が、安河(野洲川)のほとりで淡海軍に大勝します。
Jinshinchizu20

 村国男依は、横河・鳥籠山に続いて安河のほとりでも淡海軍に大勝し、大津京に大きく迫りました。
 このあと、両軍とも態勢を整えるのにしばらく掛かったようで、決戦は数日後になります。

 一方、倭では、河内から侵入した壱伎韓国を破った大海人皇子軍はいったん飛鳥京に戻り、北に向かいます。

2024年7月12日 (金)

金魚のふるさと 江戸川区

 今日の夕方NHK「首都圏ネットワーク」の「オシたび」コーナーで、江戸川区の金魚が取り上げられていました。
Edogawakingyo01
 「金魚」にはすぐに反応してしまいます。

 江戸川区で金魚の養殖が行われているとは知りませんでした。
Edogawakingyo02
 この区で金魚の養殖が盛んになったのは関東大震災後で、最盛期には20軒以上の養殖業者がいたそうですが、宅地化の影響などで、今は2軒のみだそうです。

 金魚グッズを中心に扱っているお店。
Edogawakingyo03
 このお店、行ってみたいです。

 うちの金魚が生まれたのは、大和郡山か弥富かと思っていましたが、江戸川区の可能性も浮上しました。
 いや、養殖業者が2軒では、その可能性は低いかもしれませんね。

 最近、金魚がゴハンを食べないので心配です。
 口には入れるのですが、ペッ!と吐き出してしまうのです。
 あの食いしん坊の連中が。
 ナゾです。

2024年7月11日 (木)

壬申の乱の経緯(14)大伴吹負・置始兎、当麻の衢で淡海軍に勝利

 日本書紀では、7月10日~12日の記事はありません。
 この間、淡海では琵琶湖の湖東を村国男依の部隊が、湖西を羽田矢国の部隊が、それぞれ大津京を目指して進軍中です。
Jinshinchizu18

 一方、倭では、日付は不明ながら大坂を越えてきた淡海方の壱伎韓国の部隊を、大伴吹負・置始兎の部隊がこのころ当麻の衢で撃退します。
 以後、淡海方は河内方面から攻めてくることはありませんでした。
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 7月4日に乃楽山で敗北した大伴吹負は、置始兎の援軍を得て、ついにリベンジを果たすことができました。
 壱伎韓国の部隊はかなりの損害を受けたことでしょう。
 一方、乃楽山の戦いで大伴吹負を撃ち破った大野果安の動きが不明です。
 琵琶湖東岸で淡海方は連敗していますので、ひょっとすると倭・河内方面の兵は琵琶湖方面に転用されているのかもしれません。

2024年7月10日 (水)

『大美和』147号

 昨日、『大美和』の147号が届きました。
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 表紙の写真は、4月9日の若宮神幸祭の神輿渡御の様子です。

 目次を切り貼りします。
Omiwa147b
 橋本雅之さんと内田賢徳先生の論考は三輪山セミナーの講演録です。
 300回を超えたという三輪山セミナー、充実しています。
 内田先生のお話の内容は万葉集の巻16ですね。
 巻16だけ未刊の『万葉集全注』の刊行が待たれます。

 この雑誌では、論考のタイトルと執筆者名は本人の自筆が慣例なのですが、佐佐木隆さんはPCフォントでした。
Omiwa147c
 佐佐木さんらしいなぁと感じました。

2024年7月 9日 (火)

壬申の乱の経緯(13)村国男依、鳥籠山で淡海軍に勝利

 7月7日に息長の横河で淡海軍に勝利した村国男依らは、7月9日には鳥籠山で淡海軍に勝利をおさめ、将の秦友足を斬ります。
 また、7月2日頃に犬上川のほとりに軍営を置いていた淡海軍に内乱が起こり、羽田矢国が一族もろとも大海人方に投降しています。
 大海人方は早速これを受け入れ、羽田矢国を将軍として、琵琶湖の北岸経由で、西岸沿いに南下させます。
 琵琶湖の東岸と西岸、両方から大津京を攻めようということなのでしょうが、うがって考えれば、羽田矢国を必ずしも信用していなかったために、近くに置きたくなかったのかもしれません。
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 一方、倭方面は相変わらず日付が不明ですが、紀阿閇麻呂に派遣された置始兎は墨坂で大伴吹負と合流します。
 そして、大坂にいる淡海方の壱伎韓国を撃つべく、西に向かっている最中と思われます。
Jinshinchizu16

 乃楽山の戦いで大伴吹負を破った大野果安の軍勢は飛鳥京附近まで攻め寄せながら、飛鳥京の守りが堅いとみて引き返したとありましたが、どこまで引き返したのか不明です。
 河内の壱伎韓国の部隊も、大野果安の勝利につけ込んで飛鳥方面に攻め込んでも良さそうなものですが、動きが見られません。

2024年7月 8日 (月)

お寺のねこ&KINGYOKUぜりぃ

 今日は、お盆のお塔婆を戴きに菩提寺に参りました。
 恒例により、またお寺のねこを撮影。
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 ご住職は、私が到着するまで、ねこのゴハンを待っていてくださったそうです。
 ねこ、ごめん。

 ねこのゴハンは、このような面々です。
Myokenjineko46
 このうち、右下の水分補給用のささみペーストは冷してありました。
 ご住職、本当に手厚いです。

 5月にご住職が入院され、退院されてお寺に帰ってこられたときに、このねこがお出迎えをしていたそうです。
 退院日がどうして分かったのか、不思議です。
 動物的勘でしょうか。

 菩提寺とはお中元とお歳暮をやり取りしています。
 折しも、今日、お寺からのお中元が到来しました。
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 金沢の「福うさぎ」さんの「うさぎのKINGYOKUぜりぃ」です。
 うさぎと金魚ですね。お心遣い、本当にありがたく存じます。

 アップです。
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 ちょっと部屋の灯りが反射してしまっています。

 冷していただきます。

2024年7月 7日 (日)

壬申の乱の経緯(12)村国男依ら、息長の横河で淡海軍に勝利

 7月7日、大海人皇子方の村国男依らが息長の横河で淡海軍を破り、その将境部薬を斬ります。
Jinshinchizu13

 村国男依は、大海人皇子が吉野を脱出する2日前に東国に派遣された大海人皇子の舎人です。
 東国の兵と共に不破に至り、引き続き大津京に向けて進軍しています。
 緒戦でみごと勝利を収め、この先破竹の進軍を続けます。有能な人物なのでしょう。

 一方、敗北して斬殺された境部薬といえば、有間皇子の事件の折に有間皇子とともに捕われ、尾張国に流罪になった人物です。
 のちに許されて淡海軍の将になり、破れて殺されるという、なかなか波瀾万丈の人生です。

 地図を見ると、淡海方が不破の手前まで攻め込んでいます。
 大海人皇子方は押し込まれているようにも見えますが、兵力が充実するのを待っていたのかもしれません。

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